ここ2,3日は、暑さが遠のいて
ほんのチョットだけ、秋の顔
今年の夏は特に暑かったので
(て、毎年言ってる気がする)
ヤレヤレ!
でも、夏とはいっても
気温の高すぎる日が続いただけで
何の風情も感じられなかったように想いますけどね。
海も水温が高くて、魚達も大変そうですよ。
(そのうち、煮魚が釣れるかも。。。)
空だって、晴れていてもいつも変な色で、、、
綺麗な青空に、真っ白な入道雲
なんてのは、最近ちっともお目にかかれませんでした。
一体、どうなっちゃったんでしょうねぇ!
そんな変な夏も、もうそろそろ終わりかな?
それはそれで、少し寂しいような・・・
やって来る季節
追いかける季節
逃げていく季節
隠れる季節
季節には、色々な顔があって。。。
どれも、私には儘ならないけど
終わる夏のカケラを集めては
その向こうに広がる秋景色への
橋を造るのです。
Free Bird【うたあそび】Vol.22
■日時 10月 5日(土)
17:00 Open(お店は朝から営業中)
18:00 Start
21:00 Close
■会場 喫茶 はせ川 http://hasegawa-co.biz
三重県桑名市三の丸32 (九華公園・柿安の北側)
TEL059-423-3233
■会費 無料
*飲食持ち込み不可(必ずオーダーをお願いします)
・音楽の好きな人達の、フリースタイルでの交流会です。
・当日ご来場頂いてから、内容/演奏順を決めます。
・演奏される方は、各自楽器をお持ち下さい。
・飲食のみの参加も大歓迎です!
2013年08月
昭和20年8月15日の終戦宣言
この日がなかったら、私はこの世に存在しなかったかも。。。
今日は特別な想いで、父の話をします。
昭和18年の早春の事です。
当時15歳だった父は祖母にだまって、予科練と呼ばれている
海軍甲種飛行予科練習生に志願したそうです。
それを知った祖母は、「お父ちゃんが戦争行って
まだ帰って来てへんのに、あんたまで死にに行くんかぁ!」
と泣き叫んだそうですが
甲飛第十三期生として、4月に練習航空隊に入隊しました。
昔、私は父に「なんで特攻隊なんか志願したん?」って
聞いたことがありましたけど、平和ボケで育った子供に
当時の事を話しても理解出来ないと想ったのか
今となってはよく解りませんが。。。
ただ一言「美味しいもん食べられたからな~」と、はぐらかされ
私も、それ以上聞くのは何となく怖いような気がして
その話は、それっきりになりました。
ところが、少し前に父の遺品整理をしていたら
「予科練と特攻の追憶」と題した書き物が出て来ました。
それは、第一章、第二章、第三章、第四章を原稿用紙25枚に
纏めたものですが、年月日が記されてないので
いつ頃書き溜めたのかは解りません。
副題には「この小文を、沖縄特攻作戦で散華せし
クラスメート○○○○○君の御魂に捧げる。」
と書かれています。
書いた時期はいつであれ
友人と生死を分けたあの時代の重さを
常に背負っていた事は間違いなく
父なりにそれを記すことで、私達に平和や自由や文化の大切さを
感じさせ、又そのことを戦死した人々への供養としたかったのでしょう。
当時は、15,6歳の子供達にまで、戦争に生命を捧げることを
何の抵抗も無く、素直に受け入れられる教育をしていて
父は元より、私達の親世代の人達は皆、そのような教養の無い
国家にほんろうされた事を、憂いながら生きてきたのだと
想わずにはいられません。
この小文によると
昭和20年になると戦局が劣勢になり
敵空襲が頻繁になってからは
「一億総特攻」の掛け声に、全国民が死を覚悟し
特攻隊だけではなく、どこの軍隊でも自爆訓練が行われて
いたようですが、、、
その頃の日本海軍には、闘うべき軍艦も新鋭航空機も殆どなく
残されたのは、本土決戦用の特攻兵器と称する
人間魚雷だったそうで
父はその中の「海竜」の操作訓練を受け、「一艇必ず一艦を葬る」
を目標に、死ぬ為の訓練「死に方用意!」を重ね
出撃の日を待っていたようです。
国を護る為、家族を護る為に、青春はおろか命を捧げようとした
その青年は、17歳になったばかりでした。
父ばかりではなく、当時の大日本帝国には
自分達若者が楯となって戦わなければ、国が亡ぶと想い
そう信じて死に赴くのが当然と、学業半ばで生命をかけて
戦争の前線に身を投ぜざるを得なかった
大勢の学徒達が確かにいたのです。
終戦記念日のこの日は、毎年やってきますけど
無謀な戦いと解って突き進んだあの時代も、だんだん遠のいて
当時の事を語れる人も、次々とあちらの世界へ旅立っていかれ
日本の殆どの人、8割近くが戦争を知らない世代です。
私自身も、戦争は想像の世界でしかないのですが
ちょうど今日この日が、特攻隊の生き残りだった父の
四十九日にあたりますので、改めて当時の父と向かい合って
ここで紹介する事も一つの供養になるかと想い、話してみました。
世界を見渡せば、いつの時代にも必ず何処かで戦争しています。
毎日誰かが殺されています。
今夜は、そんな様々な事を憂いながら
昭和20年8月15日、その日が真の終戦でありますようにと
願わずにいられません。
このカテゴリで、少し前にお話した不思議体験の事です。
多分、誰にも信じて貰えないと想うので。。。
ブログに載せて良いのかどうか、随分考えたんですけどね。
それは、6月22日(土)の事です。
私と弟夫婦、3人で入院中の父を見舞った後
夕食を食べ、実家に寄って家を出た直後に
弟から携帯に電話がありまして、、、
その時の会話です。
「姉ちゃん、大変や!金魚がおらん!」
「なんで?ネコが食べたん?」
「あほな!そんな訳無い!
水槽のフタの上の物はそのままやし、ずれてもおらん
それに、どこも濡れてへんねん!」
「はあ!?そんなんウソやわ、有り得る訳ないやん、、、」
「ホンマやて、ウソちゃうわぁ!!」
実家では、5~6匹の金魚とメダカ2匹を飼っていたんですけど
6月になってからは、金魚1匹とメダカ2匹だけになっていました。
その最後の1匹の金魚が消えたんです。
不思議でしょ!?
たまたま妹も、2日後の月曜日に再手術をするので
病院から一時帰宅してまして
二人が確認しているので間違いありません。
でもぉ、、、この話はこれで終わりじゃないんです。
これからがもっと不思議というか、コワ~イ話になります。
心臓の弱い方は、ここからは読まないほうがいいと想いますヨ!
それから、妹の再手術を終え4日後に父が他界しまして
葬儀の後、遺骨になって実家に帰って来ました。
そしてその翌朝、又もや弟からの電話!
「姉ちゃん、大変や!金魚がおる!」
「なんで?ネコが吐き出したん?」
「あほな!そんな訳無い!
水槽のフタの上の物はそのままやし、ずれてもおらん
それに、どこも濡れてへんねん!」
「はあ!?そんなんウソやわ、有り得る訳ないやん、、、」
「ホンマやて、ウソちゃうわ!!」
丁度一週間程前、こんなふうに同じような会話をしたのですが
その時ばかりは、二人とも鳥肌が立つ想いでした。
一体一週間もどこで生きてたん?
どうやって水槽に入ったん?
皆さん!こんな事絶対にありえんと想うでしょ?
でも、間違いなく金魚の体の模様は一緒で
おまけに一回り大きく育っていたんです。
この話は、暑い夜の怪談話でも
ブログネタ用の作り話でもありません。
私の実家で起こった本当の話なんですよ。
私自身も「そんな事ありえん!」
と、言いきりたいのですけど。。。
やっぱり、科学では証明出来ない事も
世の中にはあるのかも? しれませんね・・・
8月3日(土)伊坂ダムの喫茶店での【うたあそび】
やっぱり盛り上がりましたね~
演奏して下さる方、聴いてくださる方はもちろん
楽器を搬入しセッティングして下さる方
片づけを手伝って下さる方
音作りを手伝って下さる方
他の方にも、色々なかたちでいつも応援して頂いて。。。
その想いが、このサークルの原動力となっています。
みんな、みんな! ホントにアリガトウ
そして、バードウォッチングコーナーは
瓜生さん! この方のブログ(ゴムクルーズの今日もひとりよがり)http://blogs.yahoo.co.jp/masahitouryuの
昆虫と生物の写真は素晴らしいのです
この間も貴重な蝶の写真を掲載して頂きました。
どうしたら、ああいうシャッターチャンスを得られるのでしょうね!?
レンズが、よほどの望遠か、、、
忍者のように、忍び足がお得意か
いずれにせよ、強靭な忍耐力の所有者とお見受け致しました。
そして今回は、同じバンド「ボートマン」のノブさんが
LIVE録画してくださいまして
ご希望の方には、DVDに!と、伺っています。
なので、ご自分の映像が欲しい方はKyokoまでお申し出下さい。
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