お世話になっている皆様のリンク集です!
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時々おしゃべり

いつのまにか、もう年の暮れ

時間はどんどん流れてしまい
すぐそこに、新しい年の気配がしています。


振り返ってみれば
かぞえきれないほどの出来事が
過ぎ去っていきましたけど


不思議なことに
ご縁というものは、
長い年月を経ても
過去から今、
そして未来にも繋がって行くんですね。


どのようなご縁も、全て今の自分がある証です。


流れのままに生きて
その中でも、音楽を通じて関わって頂いた皆様方は
私にとってかけがえのないご縁となっています。


やはり、音楽の神様って。。。いるんですね。
感謝です!


今、もうすぐやって来る新たな年に想いを馳せるなら
その気持ちを何かに表そう… です。


そう、
それは【風にのって】LIVEです。


きっと又来年も、
ドキドキ、ハラハラさせると想いますけど
お手々繋いで、仲良くあそんでくださいね。
どうぞ宜しくお願い致します。


ではでは!
皆様に感謝の気持ちを込めまして、ご挨拶です。

今年もお世話になりました。
来年も、より良い年になりますよう
音楽の神様にお祈り致します。


そして
1月4日(土)桑名「はせ川」でお会いしましょうね。

弾き語り

・・・などと言えるような内容ではありませんでしたけど
どうにかこうにか、11月の【うたあそび】で約束を果たしました。
(かな???)
皆様、暖かいご声援をありがとうございました。


その後で、ある人から「どうしてやる気になったの?」
と聞かれましてね!

改めて聞かれると、、、
う~ん、どうしてかなぁ~!?


大抵の人は、今頃から?その歳で?とか
あぁ、そろそろボケ防止か!・・・って
想ってみえるんでしょうねぇ。

まあそれも、ごもっともで。。。


それに加え、私の場合はきっとこうだと想います。

何十年も生きてきて、色々想い返して見ると
どんな時にも、いつも私に寄り添ってくれていたのが
ギターの音色だったと、気がついたからでしょう。

そしてそれは、何よりも誰よりも一番長く
今も、これからも、私を支えてくれる気がするんです。


もちろん私は、ミュージシャンではありませんけど
弦楽器の音色が大好きなのです。

ピーンと張られた糸(弦)が、弾(はじ)かれた時に出る
ジャリィ~~ン
ボロォ~ン
の、ィ~~ン、ォ~ン、の音が。。。
空気の中にいっぱい広がって、やがて消えていく
その色香が、なんとも心地いいのです。

ただそれだけの事が好きで・・・
その想いに、理由などないのですけど


それを、もっと身近に感じたくなったのは

これから迎える人生の終盤
だんだんと滅んでいく肉体や、いつかは消えていく命の為に
心だけは、贅沢に!豊かに!を心がけよう。
好き!を大切にしよう。

全ては、ふくよかな最期の為に!



音楽は、夢や希望や祈り、怒りや哀しみ、不安や憂いや喜び、
全ての感情を抱えて、私を解放してくれます。

そういった音を、感じることの喜びの中で
気負わず、自分の今を信じて

記憶の底に沈んでいたものを懐かしみながら
次は何を練習しようかな?

と、今を生きている幸せ感を積み重ねます。



晩秋には、読書とか物想いがお似合いでしょうけど、、、

私・・・ポソッ!とか、プツッ!パツッ!とかいう音の中で
C、G、F、達と闘っております。


ああ!
ジャリィ~~ン
ボロォ~ン
への切ない恋心

手ごわくて、まだまだ片想いだけど、幸せです。


ギターは罪な楽器やねえ~~~!

GS

といっても、グループサウンズではなくって

いつも行く、ガソリンスタンドでの出来事です。

そこはセルフなのに、大勢従業員がいて
ガソリンを入れてる最中にいつも

重たそうなタンクを、ゴロゴロ引きずって

お兄さんが寄ってくるんです。


「タイヤの空気圧、減ってるみたいですから

みときましょか?」って

もう、毎回毎回しつこいんです。


腹の内は見え見えで(タイヤ売り)

いつも断ってるんですけど


まあ、たまにはいいか!

時間もある事だし、どうやって売りつけるか

お手並み拝見することにしました。


お兄さん、タイヤを見るなり早速

『アアッ!タイヤ随分減ってますね~

ちょっと危ない感じがするし

ついでに、他も色々チェックしときましょう!』



来ました!来ました!
私は、それ知ってて乗ってるんですけど、、、

と、言いたいのをこらえ

「そうですか、お願いします。」


案の定、車はピットイン

作業まな板に乗せられジロジロと、、、


そこで、お兄さん曰く

『チョット説明させて下さい。

ここのこれが、こうで、、、

あそこのあれが、ああで、、、云々

だから、このまま走行してると、雨の日とか危ないですよ。

そろそろ、タイヤもバッテリーも

新しいのに替えられた方が良いですよ。』


と、マニュアルどうりな感じで話を進め、

価格表のパンフレットを、頂戴致しました。



ヤッパリネ~ッ!


一応私の予定では、この年末にいつものクルマ屋さんで

替える予定をしてるので

今回は、「そうですか、考えときます。有難う」

ということで、車を戻してもらったんですが


ボンネットはちゃんと閉めきってないわ

おまけに、肝心の空気圧は測ってないわ

で、唖然と呆れてしまいました。



それから暫くして、又ガソリン入れに行ったら

この間のお兄さんが、そこへ寄ってきて

『タイヤの空気圧減ってるみたいですから

点検しましょか?』

と、声をかけてきました。



そこで、オバサンの怒りの一撃


「エエ~ッ?

この間見てもらったばっかりでしょう

毎回、空気圧空気圧って。。。もう~!

そんな暇あったら、窓でも拭いて



それにしても、スタンドのお兄さん方


お客の安全を想って、ご親切なのは感謝しますし

どんな仕事も大変で、売り上げ目標もおありでしょうが



私の顔、ええかげんに覚えてくださ~い!!!

タイプやないのは、わかってますけど~~~ッ!

今度こそ!

ギター弾けるようになります!

と、まずは宣言しておかないと...
私、ダメ人間ですからねェ~

ギターの練習は、実は6~7年程前に始めたんですけど
大きな音を出せない環境で暮らしているから
という理由で3ヶ月で挫折しました。

それから又、3年程前に弾きたくなってネ、、、
再挑戦したんです。

その時は、なんと!
半年も頑張りました。

・・・が、やっぱり挫折です。
音を出せない環境に加え、練習する時間もないし
おまけに、FどころかGが押さえられなくて...

とかなんとか、色々自分で自分に言い訳して、やめました。
トホホ(;´д`)

なのに、又しても!

今度は何を想ったか...
3度目の再再挑戦です!

イヤァ~ でもねぇ~
年も年ですし、2度あることは、3度あると言いますので
挫折も大いに有りかも...(言い訳風予防線!?)


そこでです。。。

豚もおだてりゃ木に登る!でございます。

ホォ~ッ!でもヘェ~ッ!でも何でもいいので
皆様の暖かいご声援と、的確なご指導ご鞭撻 etc。
があれば、凹が凸に!
3度目の正直にできるかも!?

一人で何も出来ない私の
まさしく、甘い根性+他力本願チャレンジ!
に突入~ッ!でございます。

てな事で・・・

そんなんダメ?


それにしても、何かをず~っと続けてらっしゃる方って
本当に凄いですね!!
心から尊敬致します

継続はチカラなり!ですもんねェ~♪

私も、少しは頑張らないと!
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆

8月15日

昭和20年8月15日の終戦宣言
この日がなかったら、私はこの世に存在しなかったかも。。。

今日は特別な想いで、父の話をします。


昭和18年の早春の事です。
当時15歳だった父は祖母にだまって、予科練と呼ばれている
海軍甲種飛行予科練習生に志願したそうです。

それを知った祖母は、「お父ちゃんが戦争行って
まだ帰って来てへんのに、あんたまで死にに行くんかぁ!」
と泣き叫んだそうですが
甲飛第十三期生として、4月に練習航空隊に入隊しました。


昔、私は父に「なんで特攻隊なんか志願したん?」って
聞いたことがありましたけど、平和ボケで育った子供に
当時の事を話しても理解出来ないと想ったのか
今となってはよく解りませんが。。。
ただ一言「美味しいもん食べられたからな~」と、はぐらかされ
私も、それ以上聞くのは何となく怖いような気がして
その話は、それっきりになりました。


ところが、少し前に父の遺品整理をしていたら
「予科練と特攻の追憶」と題した書き物が出て来ました。

それは、第一章、第二章、第三章、第四章を原稿用紙25枚に
纏めたものですが、年月日が記されてないので
いつ頃書き溜めたのかは解りません。

副題には「この小文を、沖縄特攻作戦で散華せし
クラスメート○○○○○君の御魂に捧げる。」
と書かれています。


書いた時期はいつであれ
友人と生死を分けたあの時代の重さを
常に背負っていた事は間違いなく
父なりにそれを記すことで、私達に平和や自由や文化の大切さを
感じさせ、又そのことを戦死した人々への供養としたかったのでしょう。


当時は、15,6歳の子供達にまで、戦争に生命を捧げることを
何の抵抗も無く、素直に受け入れられる教育をしていて
父は元より、私達の親世代の人達は皆、そのような教養の無い
国家にほんろうされた事を、憂いながら生きてきたのだと
想わずにはいられません。


この小文によると
昭和20年になると戦局が劣勢になり
敵空襲が頻繁になってからは
「一億総特攻」の掛け声に、全国民が死を覚悟し
特攻隊だけではなく、どこの軍隊でも自爆訓練が行われて
いたようですが、、、

その頃の日本海軍には、闘うべき軍艦も新鋭航空機も殆どなく
残されたのは、本土決戦用の特攻兵器と称する
人間魚雷だったそうで
父はその中の「海竜」の操作訓練を受け、「一艇必ず一艦を葬る」
を目標に、死ぬ為の訓練「死に方用意!」を重ね
出撃の日を待っていたようです。

国を護る為、家族を護る為に、青春はおろか命を捧げようとした
その青年は、17歳になったばかりでした。

父ばかりではなく、当時の大日本帝国には
自分達若者が楯となって戦わなければ、国が亡ぶと想い
そう信じて死に赴くのが当然と、学業半ばで生命をかけて
戦争の前線に身を投ぜざるを得なかった
大勢の学徒達が確かにいたのです。


終戦記念日のこの日は、毎年やってきますけど
無謀な戦いと解って突き進んだあの時代も、だんだん遠のいて
当時の事を語れる人も、次々とあちらの世界へ旅立っていかれ
日本の殆どの人、8割近くが戦争を知らない世代です。

私自身も、戦争は想像の世界でしかないのですが
ちょうど今日この日が、特攻隊の生き残りだった父の
四十九日にあたりますので、改めて当時の父と向かい合って
ここで紹介する事も一つの供養になるかと想い、話してみました。


世界を見渡せば、いつの時代にも必ず何処かで戦争しています。
毎日誰かが殺されています。

今夜は、そんな様々な事を憂いながら
昭和20年8月15日、その日が真の終戦でありますようにと
願わずにいられません。

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